Natsuko’s Channel

赦しとは

どうしても赦せないことがある、恨みや怒りをずっと手放せない……あなたへ。

赦すことで起こることとは?

赦しとは

今日は「赦しとは」というお話をしていきたいなと思っています。

赦しってやっぱりすごく難しいし「奇跡のコース」でよく言われているのは、赦しって天国にはないんですよ。
愛の世界には赦すことがないので、要するに分離したというか、こういう地球上でしかないことなんですよね。

だから、そもそも赦しとはほんとうは愛の世界には存在していないもの。
でも今現実に生きている対人関係の中で色々なことを感じたり、生きているわたし達には非常に大切な愛に戻っていくためのツールです。

なのでちょっと赦しについてお話ししていきたいんですね。

たとえば、どうしても赦せない相手がいるとか、逆の場合もありますよね。
どうしてもあの時にそんな態度をとってしまった自分を赦せない、わたしはこれやりました。

妹が亡くなった時にこれをずっとやっていました。
「なんでもっと妹と寄り添えなかったんだろう」って。
あの時のわたしが赦せないという、すごいありましたね。

これはジャッジメントですね。

要するにそういう自分や相手はダメだという風に完全に×(バツ)です、存在しではダメですという感じで。「それ無理」とか「それないよね」みたいなやつですね、軽く言うと。

存在してちゃダメって、相手とか自分にやっていることが赦せないことですね。
それがエスカレートしていくと恨みや怒りになっている人もいるじゃないですか。
「ああいう人、赦せない」って言ってずっと恨んでいるとか怒っているとか。
「ありえないし」みたいな感じで怒っている。
わたしなんかは自分が赦せなかった時、自分をいじめていたと思います。

今、恨んでいるとか、怒っているとか、自分や相手を赦せないとかをやっていらっしゃる方。
普段はないけどあの上司にだけにはそう思ってしまうとか、普段は元気なんだけど夫の前に行くといつも怒られていて自分がダメだなって思って赦せなくなっちゃうとか、親の前だとそうなっちゃうとか。

赦せないことがエスカレートして恨みとか怒りになっているみたいな、ちょっとでもそのエッセンスというか欠片がある生活をされている方はこれを見ていただければなと思います。

 

怒りや恨みの根底にあるのは「寂しさ」

まず恨みとか怒っているということを。正義感が強くてちゃんとできない自分を怒ったりしている。
それが相手の場合だといつまでも相手がそれを訂正してくれないから恨み始めるみたいなことが起こるんですよね。

だからちょっと細かくセンテンスを分けてお話しさせていただくと、恨みとか怒っている人、誰か相手に対して、この人は恨んでいるとか怒っているってところにフォーカスしてもたぶん解決しないです。

「これをしてくれなかった」とか「こうならなかった」って言って相手が直してくれないとかで怒っていると恨んでいる、その奥にあるのは「寂しさ」です。
自分の意見を取り入れてもらえなかったりとか理解してもらえなかったりとかぞんざいに扱われたとかというところの寂しさがあります。
寂しい経験がある。
なのでそちらの寂しさを見ないと恨みとか怒りは止まらないと思います。

怒っていると正論を言っているから、心の中で「すごいかっこいいわたし」みたいになっているんだけど、その奥に隠されている芯のまんなかの感情は「寂しさ」だと思います。

共有できなかったことの寂しさとか、誤解されたことの寂しさとか、分かってもらえなかったことの寂しさ、というところを見ることだと思いますね。

「見たら終わりですか?」と言われるかもしれませんが、まず見ることですね。
自分はこういうところに寂しさを感じやすいんだな、というのをちゃんと把握した方が良いと思います。

わたしもあるんですよ。

すごい近しい人とか、仲間とか、一緒に仕事している人とか、パートナーとかには、「わたしはこういうところに寂しさを持ちやすい」ということをちゃんと説明して理解してもらっています。

共有事項です。危険なんで、そこに触れると。
そこに触れられると、「また、なっちゃん寂しくなって悲しくなって、シュンってしちゃって、かなり波動が落ちるからめんどくせー」となっちゃうから(笑)

だから「ママはここでスイッチ入りやすいんだ」とか菜花にもちゃんと説明していますし、スタッフにもこういうところで悲しくなりやすいというのを分かってもらうということをちゃんと伝えた方が良いなって、わたしもすごく思っています。

相手が先に気づいてくれたら良いなとか思うから、なんとなく最初は伝えないでいたりすることもあるけど、でもやっぱりダメなんですよね。

苦手なところは苦手だからできないんですよね。
なかなか自分一人では訂正ができないから、自分がこういうところで寂しさを持ちやすい、ということを共有して、そこには触れないでもらう。

できるようになるまでちょっと保存。
風邪をひいているようなものなんです。
そこだけわたしは、ちょっと風邪気味なんですよ。
風邪ひいている時に、やれプールで泳いでくださいとか、やれ鍛えてくださいって無理じゃないですか。

だからそういう時は無理をしないで、「ここの部分は奈津子さんは悲しくなりやすくて、寂しくなりやすいから、触らないであげよう」ということを共有するという。

それだと逆に、恨みとか怒らないで済むんですよね、相手が分かってくれないって。

「これです」と伝えておくと、みなさんもそこをやらないでくださるから、相手に怒ったり、悲しくなったり、寂しくなることもないので。

だから誰かを恨んでいらっしゃる方、怒っていらっしゃる方は、それを相手に伝えていないじゃないですか、その裏側、奥の方を。

分かってくれなくて、こうでああで…って外側の方を伝えているので、相手は分からないと思います、それは本質じゃないから。

「こうなっちゃうとわたしは寂しくなっちゃうのでそれは言わないでください」って言った方が良いですね。
しょうがないですよ、できないんだもん、まだ。

それをできるようになるワークみたいなこともやっていましたけど、やっぱりわたしも家族が他界していますから、そういうところでトラウマちっくなことってあるじゃないですか、人って。

だから全部が全部、スピリチュアリティで手放して、というのがうまくはまらないこともあるんですよ。

「そういう部分を持っているから言わないでおいてください、ここに触れられるとわたしワーワーなっちゃって危険です」

と、伝えておくのが、恨まないで済むこと、怒らないで済むことかなって思っていて。

なかなか手放せないネガティブを愛の道具に使う

わたしは自分がなかなか手放せないネガティブというものを、愛の道具に使いたい。
わたしを分かってください、赦してください、という感じで。

甘えているんですけどね。
でもそれで良いんじゃないかなって思っていて。
わたしもそう言われた方が、その人の地雷を踏まないで済むから。

「これ言っちゃいけない、そこはいいから」みたいな感じで。
「○○君にはそれを言わなくて良いから」
「○○ちゃんはそこは言わないで帰っておこう」
みたいになるじゃないですか。
その方がお仕事ができたりするんだったら、そうした方が良いなって思っちゃいます。

赦しの前に、それがエスカレートしたひどい方からいきますね。
そこから解除していきますので。

恨みというのは、怒るポイントがあって、それをずっと持っている方は、まずその奥にほんとうは寂しいという感情があります。
どんなことをされると、どんなことを自分にしてしまうと寂しくなってしまうかというのがあります。

ほんとうは、それを自分でしなければ良いんですよ。
自分で自己否定をやめられれば、相手に被害者、加害者をさせないで済みますからね。
投影なんです。

でもね、けっこう根が深い人はそれができないんですよね。

自己否定がなかなかおさまりません、という方はずっとそれを持っているので、加害者とか被害者を作り出すのが止まらないんですね。

だからせめて、自分を分かってくれている近しい人には、自分の反応しやすいポイントについては言わないでもらうとことをお願いして、怒りや恨みを引き寄せてしまう法則を変えるととすごく楽になって、肯定感も高まってきますし、そこから、その後に自分の寂しさをやっと見れるようになったりすると思います。

恨みや怒りが強い人は、それぐらいまでやらないとちょっと難しいと思います。寂しさとか悲しみが深い人は。

たぶん、その方が一番早いような気がするな。
分かってくれるお友達とかには、それは言わないよって言ってもらったりとか、彼氏さんとか彼女さんにはそれを分かってもらう。

この安心感ということを経験することが一番早いというか肯定感を持ちやすいというか、幸せになれるんじゃないかなって思うんですよね。

その後かな、やっと自分のことを見れるようになって、こういうことを自分にすごい罰していたなとか、意地悪していたなって。
で、赦せるかなって。
自分をやっぱり赦さないと世界から赦されないからね。

だからまずはそれを近しい人にお願いしちゃうというのが良いような気がする。
きっとほんとうに近しい人とかは聞いてくれる、家族とか。
それで良いと思うな。

 

自分ことが許せないという自責をやめる

「じゃあ、愛とか赦しってどういうことですか?」
というちょっとふわっとしたところに移動したいんですけど。

さっき言ったように、自責ですね。
自分のことが許せないって、責める心。これですよね。
責めることをやめる。

わたしの場合は、妹が他界した時に、「もっと妹を助けられたはずなのに、出来なかった」て自責ですよね。
自分を責める、いじめ抜く、こんなわたしはダメってすること、この責め続けていたことをやめる、ストップする、それが赦しです。

責めるのをやめたって、妹が生き返ることは、体が戻ることはないんですけど。
生きていますけどね、霊体としてね。
それでもわたしは自分を責めることをやめたんです。
それが赦しです。

わたしの自責は妹のことだけでした、ある意味。
でも、自分を責めている人って、絶対に他人を責めちゃうんですよ。
それが出始めちゃったんですね、生活で。
それが離婚ですよね。
わたし、妹が他界した後に離婚しているので。
そういうのが生活の中に、パートナーに出ちゃうんですよね。

子供にも出ちゃっていましたし。
子供にはネグレクトみたいな感じになっちゃいましたね、育児放棄みたいになって。
髪の毛ひとつ結んであげて、学校に行かせてあげることもできなかったです。
できないんですよね、鬱っぽくなっちゃうから。
それは責めるとは違うかもしれないけど、ちょっと放棄してしまってますよね。
やれることをやってあげていないわけですから、娘に。

自分を責めているとぜんぶが攻撃的なことになっちゃうんですよね。
自分を責めるエネルギーが外にも出始めちゃっていることが、すごく迷惑なことなんだなって、やっと気づいて、自責をやめられたんですよ。

自責の場合、誰にも迷惑はかからないような気がしちゃうので、なかなかやめられなくて、ずっと責め癖が止まらないんですけど、でもそれは絶対に外に出てしまいます。

ほんとうは、妹を大切にできなかったことを責めているわけなのに、自分を責めていることによって、自分がダウンしてることによって、パートナーとの離婚だったり、娘を育児放棄してしまったりとか、そういう攻撃性ですよね、ある種の。

それは、また同じことをやっているわけですよ。
妹にできなかったことを、また、娘にできないことをやり始めている…ということに気づいてやめたんです。
それが赦しですね。

だから「赦しって何ですか?」って言ったら、責めていることとか、怒っていることとか、恨んでいることをやめることです。それだけ。
やめて終わり。他に意味はない、やめるだけ。

「やめれば良いんですか?」って、そうです。
やめれば良いんです。
「やめられないんですけど」っていうと、やめられない場合は、わたしみたいになります。
とにかく世界に攻撃性を振りまく人になります。

実際、自責じゃなくて他責をしている人、相手が悪い、あっちが悪い、あなたが悪いとやっている人は、振りまいていますよね、攻撃性をね。
そうするとやっぱり孤独になるから。
孤独でも良いんだったら良いんだけど。
やっぱり攻撃的な人の周りには人が来なくなるので、人に誘われることも少なくなるから。
やっぱり人は痛いですからね、攻撃性は。

だからあまり深い意味は考えずにやめれば良いだけです。

それが赦しかな。
責めるのをやめるのが、赦し。
これで大丈夫かな。

恨みや怒っている自分がいたら、正論をやめて、その奥にある自分の寂しさというものを労わってあげる。
わたしはこういうところに寂しさを感じやすいから、そういうお話はまだしないで欲しいというふうに、まず一番近しい人たちからお願いしてみる。

そうやって包まれていく経験をして、その後かな、自分で自分を責めることをやめられて、結果、それが赦しになるということを経験できるんじゃないかなと思います。

すごいシンプルに言いましたけど。
でもたぶん、ほんとうにそれだけだと思う。

わりとやり続けているんですよね、みんな。
責め続けているんですよ、自分や人を。
ひいては自分を責め続けているんですよね。
怒ったり虐め続けている、攻撃しているんです、暴力ですね。

それをし続けていたのを、ぱっと手を離して、やめることが赦しだと思います。

あんまり寄り添わなくてごめんなさい。
寄り添って傾聴してという動画じゃないんですよね、これね。
方法、how toにちょっと近いかな、これだとね。

やっぱり、怒りとか、恨みとか、自責とか、責めるのは、やめるに限る。
あまり意味を考えないで、まずやめる。
それだけが良いと思う。
やめてから色々考えた方が良い。
やめないうちは自己分析も内観もできないからまずやめる。
ちょっとそれをお話しさせていただきました。

逆にわたし、赦せないとか、怒っている人とか、自責の人にも、そんなに嫌な人とかも思っていないんですよ。
やめれば終わるから。

その人はほんとうのその人じゃないから、いま寂しがっているという投影にいるだけで、それがぱっと終わったら、ほんとうのその人が出てくるから。
軽く考えているんですよ、そこは。
寄り添わない、そんなにベタベタしていない分。

でも変わったら、ほんとうにすぐいけるよという感じで。
人を恨んでいる人がダメだとぜんぜん思っていないし、終われば変わっちゃうから問題ないと思うよ、みたいな感じで前向きなんです。

良かったらぜひ、その責める気持ちをやめてみてください。

今日も話を聞いていただいて、ほんとうにどうもありがとうございます。

N

 

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