佐川奈津子による映画エッセイ、記念すべき第1作品目はメディアサイトタイトルともなった「LOVE STREAMS」です。
このメディアサイトのタイトル
わたしは、ジョン・カサヴェテス監督の「Opening Night」と「こわれゆく女」をとても名作だと思っていて、このメディアサイトのタイトルを、最初は「Opening Night」の予定で創っていました。
けれどもよくよく考えると、「Opening Night」は、あまりに完璧な傑作で……心からの尊敬のオマージュにしても、どうしたって近づけないようなスケール感のある映画、作品、存在なのです。
カサヴェテス監督も、彼の作品の必ずの主演女優であるジーナ・ローランズも、一番脂が乗っている時期であり、映像美とセット、テーマ、衣装、音楽も素晴らしく、わたしのサイトがあれほど演劇的なものに近づけるのかしら? と、目指すにしても程遠い世界観です。
しかも「Opening Night」に主演しているジーナとわたしは今、実は同い年で、貫禄も桁違いの〝大人の女性〟です。(わたしが子供過ぎるのですが)
ラストシーンの尊さ
「こわれゆく女」も、カサヴェテス監督の大親友、刑事コロンボでお馴染みのピーター・フォークが、どこまでいっても果てのない優しい男を演じていて、ラストシーンの秀逸さとあたたかさが、凄まじいほどの名作なのです。
たぶん、この三つの作品の中でも、ラストシーンの尊さは一番の作品なのではないかと思います。
プライベートのジーナは、インデペンデンス映画にすべての財産を注ぎ込んでいく夫のカサヴェテス監督を、女優として支え続ける落ち着いた大きな器の女性なのですが、精神疾患の揺れる心の女性を演じたら右に出るものはいない、と言われている伝説の名女優です。
ジョン・カサヴェテス監督
ジョン・カサヴェテス監督のことをよく知らない若い方には、「きみに読む物語」という名作をあげた方がいいのかもしれません。
「きみに読む物語」のニック・カサヴェテス監督の実父が、ジョン・カサヴェテス監督です。
そして、「きみに読む物語」にももちろん、ニックの母親であるジーナが、名演技を光らせているのです。
(ニックは実父と実母の映画「こわれゆく女」で、長男の役で幼少期に親子出演をしていて、とても可愛いですよ)
制作費がすべて自費だったため、俳優仲間に低予算出演を頼んで製作していたのですが、ジョンの親友のピーター・フォークは、ジョンに映画を創るお金をあげるために、刑事コロンボ・シリーズの主演を続けていました。
彼女への愛は、レベルが違う
「LOVE STREAMS」は、カサヴェテス監督がジーナと共演した最後の作品であり、彼の照れ隠しのように最後の最後でジーナを姉役に据えて、作品の中で思いきりジーナを愛するシーンをフィルムに残しました。
「彼女への愛は、レベルが違う」
と、台詞にも託して……。
カサヴェテス監督とジーナが兄弟役でありながら、二人で見つめあい、抱きしめあい、讃えあうシーンは、それだけで愛の波(LOVE STREAMS)です。
愛の答えが得られないことで狂っていく女性
「こわれゆく女」でも「Opening Night」でも「LOVE STREAMS」でも、カサヴェテス監督は一貫して、『奇跡のコース』で語られる「特別性(条件付きの愛)」を「真の愛」だと勘違いし、愛の答えが得られないことで狂っていく女性を描き続けました。
ある時期わたしは、人生のすべてのお金を注ぎ込んで、そんなにしてまで「特別性(条件付きの愛)」と「愛」の違いや苦悩を描き続けたカサヴェテス監督の熱量に、ほんとうに惹きつけられていました。
わたしの母も妹も精神疾患を持っていましたから、彼女達を愛し、許し続けているような映画にも感じていたのかもしれません。
そうなると、わたしが真に愛したかったのは、母と妹だったのだな……と、そんなわたしの「特別性」がまた、愛おしく感じたりして……胸が熱くなるのです。
監督が伝えたかった特別性(条件付きの愛)
「LOVE STREAMS」の中で、精神疾患を患いながら離婚調停をしている主人公の女性、ジーナと男性カウンセラーのこんなシーンがあります。
「(娘が夫についていった) ……喪失感があるわ」
「はじめからきみの所有物ではないのに?」
「……愛は流れです。絶えず流れ、止まることはないわ」
「いや、止まる」
「いいえ、決して止まらないわ」
「家族は、君の強過ぎる愛で窒息している……性生活は?」
「……ありません」
「まさか」
「必要ありません」
「(あなたは、自分に対して)愛のない夫と娘にしか関心を持てない」
「違うわ」
「君の人生に必要なのはバランスだ。何か創造的なこと、セックス、何かを見つけないと、病院へ逆戻りだ」
「……」
「(あなたは、自分に対して)愛のない夫と娘にしか関心を持てない」というシナリオの一言は、まさに〝投影〟を扱う見事な台詞で、このサイトでわたしは観ていただくみなさまと、〝投影〟に関する答え合わせをしていく動画配信なのだと思っていましたので、ほんとうに考え深いのです。
みなさまが愛だと思っているのに、その答えである現実創造が、愛の満ち潮の波になって還ってこないのだとしたら、それはカサヴェテス監督が人生のすべてを捧げて伝えたかった、「特別性(条件付きの愛)」なのです。
「真の愛の波」LOVE STREAMS
「LOVE STREAMS」では、ジーナが「自信がない」と倒れこむシーンが何度もあるのですが、この「自信がない」というよくある感情の中には、どんなにか複雑なジャッジと自己否定と他者否定、優劣が入り込んでいるのかも、みなさまとご一緒に、丁寧に読み解いていきたいと思っています。
わたしはこのサイトで、良質の愛、純度の高い愛について取り扱い、「真の愛の波」LOVE STREAMSの、寄せては還す美しい相対性の具現化、奇跡体験についてを、余すところなく様々なアプローチで、みなさまに感じていただけるようお伝えしたいと思っています。
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