Cinema

「Who done it ? How done it ? Why done it ……」

 

Who done it ? 誰がしたのか

今回、書かせていただく作品は、『別れのワイン』。

これは映画作品ではなく、わたしの生まれた1971年、アメリカでシリーズ制作・放映がスタートしたロサンゼルス市警察殺人課の『刑事コロンボ』が主人公のサスペンステレビ、全69話のうちの名作中の名作です。(第19話)

コロンボシリーズは、【倒叙 (とうじょ)もの】ミステリーの代表作。

【倒叙もの】とは、「inverted detective fiction(逆さまの探偵小説)」と呼ばれてもいる、犯人の側から始まる物語を、そう呼びます。

通常のミステリーでは、最初に事件が起こって、観ているわたしたちが名刑事や名探偵の目線と一緒に、見えない犯人を突きとめていく。

けれども【倒叙もの】は、見ているわたしたちに、最初から犯人とトリックがわかった状態でお話が進むのです。

「逆さま」の由来が、ここにあります。

いつものミステリーは、「いかにして、犯人を追い詰めるか?」

【倒叙もの】は、「いかにして、犯人が追い詰められたのか?」

 

つまり、最初からわたしたちには犯人がわかっておりますから、犯人の心情をじっと見つめることができてしまう……

追い詰めるコロンボの視点だけではなく、そこに対立している、犯人の隠された心の眼と感情も味わうのです。

なぜ犯人は、相手を殺めてしまったのか?

究極の手段に出てしまった理由を、犯人の心の目線に感情移入しながら観察することができるのは、この【倒叙もの】ならではの手法です。

この心理戦が、【倒叙もの】の魅力です。

 

Who done it ? (誰がしたのか)
How done it ? (どのようにしたのか)
Why done it ……(そして、なぜ……それをしたのか)

ラストシーンの素晴らしさを、みなさんにもいつか体験していただきたいので、詳しくはお話しないままこのエッセイを書けるといいのですが……

名作『別れのワイン』は、赤ワインが一番好きだったわたしの父が、主人公のワイナリー、エイドリアン・カッシーニ氏の〝ワイン愛〟に、自分を投影して。

小説版を常に本棚に置いていたので、わたしはこの作品を、生まれた頃から見聞き知っていました。

なのに、なぜかこの作品をちゃんと見たのは、父が他界してだいぶ経ってからで、わたしが『奇跡のコース』をベースにしたカウンセリングのお仕事を、お一人、お二人……と少しずつ依頼を戴くようになった頃でした。

ワインを嗜む男たちのブルジョアジーの世界観。
狂酔にも見える知的な、ワインへのマナー。

唸るような名台詞の数々を、ワイン造りに人生を捧げた男を演じた、透き通るブルーアイズのイギリス人俳優ドナルド・プレザンス氏。

コロンボ役の名優、ピーター・フォーク氏とプレザンス氏が創り出したラストシーンが、「コロンボ史上最高の出来」と評された理由がとても伝わります。

プレザンス氏の〝静かで知的。平凡でありながら、非凡〟な人を、ブルーアイズをぐるぐると動かし、淡々と演じる品性には……ほんとうに驚かされました。

同時にわたしは、「父の孤高さ」という、人とあまり交われないからこその父らしさの意味も、プレザンス氏の仕草や目線で知ることができましたね……

無口で、あまり喋れない時。
黙ったまま、動く目で語る感じが、とても似ていた……懐かしいです。

 

わたしが小学三年生の頃、学校の図書館で生まれて初めて読んだ推理小説が、ずらっと並んでいたミステリーの中からふと選んだ、アメリカの作家、エドガー・アラン・ポーの短編『モルグ街の殺人』(1841年著)でした。

(この作品が「分析と推理によって犯人を突きとめていく探偵小説」の元祖だったことも、大人になって知りました。とても考え深い、子供の直観です)

どうしてわたしが、子供の頃から何十年も。
ある意味、〝こんなに物騒〟な、ありとあらゆる推理小説、ポーやドイル、クリスティに惹かれていったのか?

幼いわたしの目線の先にはいつも、壁一面のはめ込みの本棚によじ登るたびに見かけていた、【倒叙もの】ミステリー『別れのワイン』の〝サイン〟が、なぜ、わたしの目の前のここに、いつも在ったのか?

それらの〝サイン〟の意味が、カウンセリングや『奇跡のコース』のお話をすることになって、やっと完結したのでした。

 

How done it ? どのようにしたのか

綿密な「犯行計画」が、なぜ失敗してしまったのか。
どのように、犯人は、ミスをしたのか。

たった一つの些細なミスから、完全犯罪が崩れるプロセスへの観察眼。
『別れのワイン』は、まさしくそこが、秀逸でした。

エイドリアンが最もワインを愛するがゆえに、養われた彼の一流の味覚。

その最も美しい彼自身の才能、美点が、彼の完全犯罪の足をすくうのです。

そうして彼は、最も愛するワインを守るために犯した殺人であるのに。
その殺人を犯したことで、最も愛していたワインを、すべて。

自ら、海に投げ捨てることになるのです。

 

これは……カウンセリングを開始したばかりのわたしには、ほんとうに心の底から言葉が消えるような……神からの贈り物でした……。

なぜなら、わたしの目の前に来てくださる悩みや苦しみや問題を抱えた方たちは全員、「このエイドリアンと〝同じ人〟に見えたから」です。

ご相談に来てくださったみなさんは全員、自分には美しい才能が最も無いと決め付けていらして……怖がっている心に、蓋をされて。

狭く激しい思い込みによって、最も愛すべきご自分の美点を、自ら見殺し、海に捨てているエイドリアンに似ていました。

「わたしは、信頼しあい、愛しあえるパートナーが欲しいのです」

「わたしは、相手ともっと愛しあいたいのに、否定されて、できない。わかってもらえないのです」

この問題は……全部、みなさんが、ご自分の美しさを信頼せずに。
ご自分でご自分の本音を尊重し、ご自分の本音を正直に愛する責任を、一切せずに。

ご自分の唯一の最高の美点や、最も愛する豊穣で極上のワインを、自ら、海に投げ捨て続けていらっしゃる……

そのもったいない姿が、まるっきりご自分で見えていらっしゃらない……

〝不完全な計画〟の結果だったからなのです。

 

心理学の世界、そして『奇跡のコース』の世界では、

「人は、自分にしていることを、他者にする。とても自然に、必ず」

という真実、〝完全な計画 (法則)〟が明かされています。

図らずとも、無意識にご自分を否定している方は、必ず、最も愛する人から愛されない環境を作り出します。

そうです。

How done it ?
どうやってしたのか。

その方法は、人はみな〝自分を愛する自分〟を、一番最初に、無意識にも見ないフリをして、見殺しにしてしまったことによって。

同時に相手との関係性をも、自ら破壊してしまっていたのです。

けれども、この〝不完全な計画〟を、コロンボのように繊細に、丁寧に。

時には忘れないよう鉛筆でメモを取りながら、観察することができたなら……

名刑事の鋭い洞察のメモ書きを読めば、こう書かれているはずです。

〝ご自分でご自分を愛する〝完全な計画 (法則)〟へ戻すこと。

ただそこを、逆さまにすれればいい〟

 

人は、自分にしていることを、他者にするのですから。

まずご自分でご自分を愛するだけで、この〝完全な計画 (法則)〟が現れ始めます。

とても自然に、必ず。

 

Why done it …… そして、なぜ……それをしたのか

数あるミステリーの中で、わたしが特に『刑事コロンボ』シリーズをとても好きになった理由が、もう一つあります。

コロンボがいつも最後に、人を殺した犯人と二人きりになっても、
「殺人犯人をまったく怖がらない」ことです。

犯人が、自分の美しい美点を死守するために相手を殺した秘密が、コロンボの何気ない質問の数々によって、名刑事を相手に、美しい自分の特性の習慣を自然とふるまい、与えてしまうことによって……

その時に初めて、彼らは自分で自分の才能を認めざるを得ない、自白という降参、サレンダーをしていく瞬間に落ちるのです。

「人は、自分の美点を死守するのではなく、美点を人に与え続けてしまう愛を表現し続けてしまったら、もう攻撃性も凶暴性も一切無くなり、二度と自分と相手を殺さなくなる」

コロンボの、その犯人の中にも必ず在る「愛への、絶対の信頼」を見つめ続けている姿には……ほんとうに見習うべく感動があるのです。

Why done it ……
そして、なぜ……それをしたのか。

名刑事は、その理由を知っています。

なぜなら愛は、どんなご自分も相手をも、必ず愛せるほどの大きな深い愛が在るからこそ……その、ご自分の大きな愛を体験するために。

逆さまに自ら愛の反対側へと抵抗し、疾走していくことで、愛を対角線上へもっともっと大きく大きく膨らませている……!

こんな愛の増やし方をしていたご自分を……みなさんは、お考えになったことはあるでしょうか?

そんな風に、どんな否定的な怖れの中にも、

「どんな人にも、愛が在る」

そう確信して、観察ができる見方を持てる人。

それが上質の観察者であり、名刑事、名探偵の姿です。

 

ですからわたしは、セッションの時に、みなさんが「最も、できない」と思い込んでいる「一番の問題」にいつも着目しています。

そこには逆さまの、必ず大きな贈り物、才能がある。

逆さまの急所が、そこに……つまり、深い愛が。

すでにその方の中に置かれていて、隠されているのが、大きすぎて溢れているのが……透けて見えるからなのです。

コロンボも、犯人の中にすでに置かれて在る愛を見つめているから、殺人犯と二人きりになっても、怖がりません。

ご自分でご自分を認めて降参をしたなら、人の中からは、愛だけが正体を現す。

さらには愛は必ず、お互いを讃えあい、幸せなジョークというユーモアさえも、それがどんな場面であっても顔を出してしまうものであることも、名刑事にはわかっているのです。

愛とは笑って肯定し、ただ穏やかに受け入れる、おおらかな姿。

それが、愛の特性だから、と。

 

もう一度、Who done it ?

そう。
今、わたしはもう、最初から。
わたしの人生の犯人や答えは、すでに在ったからこそ、現れていたことがわかります。

それは、幼いわたしの目線の先の父の本棚に、ずっと〝サイン〟となって置かれていた【倒叙もの】のミステリーと同じこと。

わたしがかつて見ていた、問題の数々。

それらは今、わたしがわたしを否定していた自分との「お別れの乾杯」のためだけにあり、その経験が今、みなさんの自我との「お別れの乾杯」へと繋がっている……

『別れのワイン』はわたしにとっての、そんな最高の名作の〝サイン〟でした。

そして、もう一度わたしは、その最高の【倒叙もの】の〝サイン〟をおもいながら、

「Who done it ? 誰がしたのか」

と、常に冷静に、カウンセリングで問題をお話してくださる方々の心の奥を、じっと見つめて……心の中で、そう聴きます。

すると、すでに最初からその方の奥に在った愛からは、こんなユーモアのある声が聴こえてくるから、心の中で、こう先に呟いてしまうのです。

「いつから……わたしを殺していたのはわたしだと疑っていたんだい?」

「そうですねぇ……最初にお会いした時からです」

 

 

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