Natsuko’s Channel

サインと共に生きる part1

佐川奈津子新刊「グレープフルーツムーンに、お願い」のテーマのひとつでもある「サイン」。

サインと共に生きるとはどういうことか、サインの見方について、お話しします。

 

サインとともに生きる

今日は「サインと共に生きる」というお話をちょっとしてみたいなと思っています。

2019年12月にClover出版さんから「グレープフルーツムーンに、お願い」という恋愛スピリチュアル小説を刊行させていただくことになったんですね。

グレープフルーツムーンというのは満月のことです。
まるでグレープフルーツみたいな黄色いまんまるのお月様、ということで。
その満月にお願いする、というちょっとロマンティックな恋愛小説なんですけれども。

テーマがちょっと複合していて、ジェンダーレス、女性同士で愛するカップルや、ジェンダーをまだ決めていないXジェンダーの主人公、その主人公は共感覚者(エンパシー)だったり、その彼を取り巻く人たちや、その彼を好きになるもう一人の主人公の女の子の心が愛に戻っていく様、というのを書いた恋愛小説なんですけれども。

その中で、もうひとつの大きいメインテーマが『サイン』なんですよ。
わたしが今回この動画でお伝えしたいこと。

その恋愛小説でお伝えしたかったことは、サインや、サインの意味を解読するという角度というか。
そういう本やお話というのはたくさんあると思うんだけど、わたしが一番伝えたいことは「サインと共に生きる」ということなんですよ。

まずサインって一体どういうこと?
ということがあると思うんですけれども。

サインっていろいろな角度があって、要するに具現化のことなんですね。

自分が思っていることが現実に現れる、その予告編の予兆でもありますし、まさに思っていることが形になったり、数字になったり、看板に出てきたり、映画のメッセージで出てきたり、とか。

ヘンゼルとグレーテルが道に迷わないように小石、パンを道に置いていったというような童話がありますけれども、そんなふうに自分の人生の道筋がこっちだよとか、人生の道筋という大きなものでなくても、たとえば「今日、どんなランチで美味しいもの食べたら良い?」という時に、「こういうフランス料理に行ったら良いよ」とか「こういうイタリアンに行ったら良いよ」とか、それも、もちろんサインですし。

自分の生活のすべてに目印や矢印といったサインに満ちている生活というのを受け取っていく、楽しんでいく、喜んでいく、そんなふうに生きていくことをお勧めしたいというところがあるんです。

 

愛へと戻っていくことの大きな一過程

わたしはずっと教会に行ってお祈りをしてきて、神という存在や愛って、全部がひとつであって、いろんな人の中に愛する心がありますよね。

みんな同じ共通の愛という、愛と愛が重なった時に、思いも重なって「なにか一緒に仕事しようよ」とか「一緒の作品を作ろうよ」といった、肯定感でクリエイションがなされていくと思うんです。

それは現実や、思い、会いたかった人、そういったすべてが一致したタイミングじゃないですか。
引き寄せというのは、そのタイミングがすべて。

だから思った時に現れる、それが愛のクリエイション、神の采配の部分だから、このタイミングこそが、神が見えている時じゃないですか。
采配が現れている時ですから。
シンクロニシティということ。

だからサインと共に生きるってことは、要するにタイミングと共に生きるということなので、自分のやりたいことを今言っていいんですか?メールで書いていいんですか?やって良いんですか?ということからひとつレイヤーが上がる生き方になるんですよ。

自分が書いたものが来たとか、自分が思ったことが現れた、ってここでやれば良いことだから、やりたいことをどうやったら良いんですかという悩みが、サインと共に生き始めた時に消えるんですよね。

この生き方が始まると、すごく一段上がるというか、問題がごそっと、悩んでたレイヤーがひとつ消えるんですよ。

だから愛への帰還というか、愛へ戻っていくことの、ひとつの大きな一過程として、サインと共に生きることってすごく大事なレイヤー、段階がアップしていくというか、深まっていく証だとわたしは思っているから、すごくサインを大事にしたいし、サイン=神の采配なんですよ。
シンクロニシティですし。

もっとドラマティックに言うと、それが奇跡と共に生きるということだから。
サインと共に生きることが日常的になってくると、本当に見方が変わってくるし、人に対しても自分に対しても、ぜんぜん生き方が変わってくる大きな転換期になるんですね。

だからすごくサインに重きを置いているわたしがいる。

だけどサインの解読に重きを置いているんじゃなくて、サインと一緒に流れて生きていくということ。
サインが常に満ちていて、それを頼りに生きることこそが神と一緒に生きることだから、愛と一緒に生きることだから、だから大切にしたいんです。

なので今日はサインを大切に見て、サインと共に生きていく時に、サインの見方を少しずつお話ししていけたらなというふうに思っていて、もし長くなってしまうようだったらちょっとシリーズでお話ししていこうかなと思っているので、今日まずはpart1のところをお話ししてみたいと思っています。

 

サインの見方にはいくつかのアプローチがある

サインというのは、わたしが今感じているもので分かりやすく説明すると、3つぐらいアプローチがあるんですよ。

ひとつは自分の心地良さの確認。
自分の波長の高さが深まって、愛が広がっていて、調和に満ちているサインの見方というのがひとつあって。

もうひとつがよくある予告編的なサインですね。
どっちに進んだら良いか。
たとえばさっきも言ったように、メニューを選ぶときに、はっきりSNSやパッと手に取った本がフランスのエッセイだったから、今日はフレンチのランチを食べたら良いんだな、とか。
そういうことも含めて予告編のサインになっているもの。
そこだよという道しるべというか看板的なものになっているものというのもありますし。

あとサインというのはタイミングだということをさっきお伝えしたんですけど、タイミングとしてのサインの扱いというのがあって。

たとえば、自分の波長が上がっているかどうかというのを見れるサインというのがあって。わたしはよくこのメディアサイトのAcimのページでもちょっと載せたりしているんですけど、他の動画でもお話ししたかな?

わたしの実家って、もうなくなってしまったんですね。
家族が全員他界しているから、そのお家は土地を売って別の方のお家になっているんですけど、すごく田舎で広いお庭があったんですよ。
白樺が何十本もあるようなお庭で。
父がフランス大好きで、フランスかぶれだったから白樺を植えていたんですけど。
でも白樺ってあまり町中にないんですよね。
森の中とか長野県とか日光とか、たとえばフランスとか。
ちょっと気候がそういった涼しい所にしか生息しない木なので、あんまり町中に立っている木ではないというか生息している木ではないんですけど。

わたしがこの間ニューヨークの街をちょっと歩いていた時に、美味しいオイスターのお店を紹介していただいて。牡蠣のお店ですね。
わたし貝がすごい好きなんですよ、牡蠣とかムール貝がすごく好きで。
「ここの店行ったら良いよ。」って紹介して下さった方がいて、ちょっと行ってみようと思ったんですね。

ちょっとどんなお店かなと思って行ってみたんです。
そうしましたら、行く道の途中に、実家の庭みたいな白樺のもっと小さな庭が、突然ビルの庭みたいな感じでちょっとだけ細い白樺が植えられていたんですね。
その時に一瞬にして懐かしさというか、わたしが大好きなお庭がそこにちょっと小さく再現されていて、というのがあったんですよね。
すごく自分の波長がふわっと嬉しくなるというか、懐かしいなって。

そうすると自分の波長がすごく上がって、その波長のままお店に向かったら、そのオイスターの牡蠣のお店がもうすごい美味しかったんです。
もう信じられないくらい美味しくて。
お酒のカクテルも、プラムが入っているお酒とか牡蠣とかムール貝に合うものをセレクトしていて、店員さんもバトラーみたいというか執事みたいで、昔のグランドキャバレーみたいなお店で素敵なんです。
メニューのひとつひとつとか、あとパンをつけるオイルにも貝のエキスをちょっと入れてくれたりとか、いちいちすごすぎるお店だったんですね。

要するに、わたしはまだそのお店がそんなに素晴らしく、わたしの好きな味が待ってるなんて分からないんだけど、そこに行く途中でふわっとわたしの大好きな庭が突然現れて。
これはとっても素敵なことが起こるよ、という導線の道みたいになっていて、まだお店の味は分からないんだけど、その予告編みたいに自分の好きな過去の何かが見えてくるというか。

そのレストランと白樺のお庭は一切何も関連性のサインはないんですよ。
でも、ただわたしの心地良さ、わたしの好きなもの、わたしの愛しているものが並んでいるという点では同じサインなんですよね。
分かります?

だからわたしは心地良いこと、自分の過去だったり、大切にしているものと同じ物がシンクロで目の前に見えた時というのは、そういう日はそれがまた広がって、延長して、そこにもう一度もっと素敵なものが現れるということが感じられるのが分かるんです。

そのタイミングですね。
これから行くまだ分からないお店がすごく素敵なものに満ちているということが予告編で分かるというか。
これもある意味、予告編というふうに見えることかもしれないんだけど。

サインというのは、実は「今、ここ」というところ、今、感じているところに現れるものなので。

でもさっきのって、過去の現実にはもう存在してない家の庭なんですね。
でも過去のわたしの記憶の中にある。
その中に閉じ込められている過去の心地良さが、今の目の前のニューヨークのお庭と溶け合うという、過去のものが今の道具になって心地良くなるということ。
こういうこともすごく大切なことです。

過去に浸っているんじゃなくて、過去が今を引き寄せているってことがすごい大事なことなんですよ。
だから過去に浸ってしまうと、今というシンクロニシティとか引き寄せの時間からズレてしまうんだけど、過去が今を引き寄せるってことはありなんですよ。

 

タイミングと一緒に生きる

この辺の細かいことをいつかお伝えしたいなって思っていて、過去のすべての思い出がぜんぶ今の良きことに繋がりだすと、時間軸が壊れだしているサインなので、すごく良いんですよ、逆にね。

やっぱりその日は一日、人と会う時間もクリエイティブな時間だったし素敵な時間でしたね。
牡蠣も実は一人で食べたんですよ、全部。
一人で食べたんですけど、その後に夜に一緒に過ごした人との時間もすごい素敵な時間でしたし、そういった過去の心地良さが今に流れてくるというのもすごく素敵なサインですかね。

なので、過去に体験していた大事にしている自分の中の心地良い出来事が、今、目の前に現れているってことは、すごく素敵です。良いです。
波長が愛のクリエイションに開いている証なので。

実際、そういう経験をされている時、これがサインだとか分からなくても、「過去の素敵な思い出と、これは一緒だな」という時ってみなさんの気持ちも「あっ!」てなると思うんですけど、そこでご自分の波長が高くなっていて、時空が壊れている、過去と今がくっついて今になっているということを感じていただける感性を、もっともっと感じられるようになると、サインを見る見方がだんだん深まっていくんですね。

要するに、タイミングと一緒に生きるという生き方に変わっていくんですよね。
たくさん話しちゃうと混乱しちゃうので、まずはこのエッセンス、サインというものの、part1。

自分の過去に大事にしているものが、今と一緒に溶け合うということも時空が壊れだしている、素敵なことが起こっている、というここの感性。
これを感じながら生きるという習慣をちょっと身につけていただけると良いかなと思いました。

では次のpart2の動画で、もっとリアルな予告編的なサインの見方というのを詳しくお話できたらなと思っています。

今日も見ていただいて本当にどうもありがとうございます。

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