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孤独感について

いつも一人だと感じる、孤独で寂しい……孤独感とはいったいなんでしょうか?

 

・孤独感についての定義を変える

・孤独を感じている人も「一人が好き」というエッセンスを持っている

・孤独が辛いのではなく、孤独に対しての誤認知が辛さの原因

 

動画内でご紹介している『子どもと孤独』はこちらの本に 収載されています。

幼児はあらゆる種子の萌芽を孕む―地方都市の幼稚園長からの“たより”

 

 

孤独感について

こんにちは。
今日は「孤独感」ということについてお話ししてみたいなという風に思っています。

たとえば会社や学校に通われている方が、周囲から疎外感を感じていたり、そのことによって鬱っぽくなっちゃうとか、独身だったりして自分が一人が長いことに対してすごく憂鬱な感じがあったり、寂しさがあったり…ということについてお話ししてみたいなと思っています。

わたし、孤独や孤独感についてはすごく考えてきた方だと思います。

まず、わたしも小さい時から基本浮いていたんです、集団の中で。
ものの見方がちょっと違うから、何を発言してもシーンとなっちゃうんです。
良い意味でも、いろんな意味でも。

「なっちゃんがまた変わったこと言っている」っていう感じで、友達が一瞬シーンってなっちゃうんですよ。
3~4人の女の子とかと喋っていてもシーンってなって。
でもわたしの話をよく聞いてくれる子は、面白そうとか、また変わったこと言っている、みたいな。

あとは逆に普通にひいているというか。
どちらにしてもシーンってなっちゃうということが多くて、ちょっと気にしていました、小さい頃から。

「あれ?なんでみんなとちゃんと対話がポンポンってわたしって出来ないのかな」というのはすごい感じていました。

だから疎外感ですよね。

 

一人を肯定してくれた父と孤高を貫いていた家族

よくそれを父に相談していたんですよ。

父は大学の講師をした後に選挙に出て、水戸市長をやっていたんですけど。
政治家になってからはすごく忙しいんですよ、選挙の期間もありますし。
だけど、毎週土曜日の夜は割と書斎で原稿を書いたり、政治活動の案件作ったりとかという時間に必ず割いていて。
土曜の夜はいるんです、書斎に。

そこにわたしはこっそり邪魔しないように行って、何となくコーヒーとか淹れたりして、父がちょっと一息ついたなみたいな感じの時に「なんかさ…」みたいに。

「学校でこういう風にわたしなっちゃうんだけど、どうしたら良いと思う?」とか「どう思う?」みたいなことを父に聞くんですよね。

そうすると、父はいつもわたしのことを、「君はね」という感じで奈津子とかも呼ばなかったんですね。

娘という感じじゃなくて「君は」って感じで。
大学の先生を長くしていたから生徒に教えるみたいな感じなんですかね。
「君はそれで良いから」みたいな感じで。

学校が疲れちゃう、小さい子ってノイジーですよね。
うるさいというか元気だから、それがすごく疲れちゃうから今日も保健室にいた、とか言うと、「それで良いと思うよ」って感じ。
「保健室の先生とはどんな話したの?」みたいな感じですごく尊重してくれたんですよね。
わたしのその疎外感を。

わたしの父は「結婚とか全然しない方が良いよ」とか言う人なんですよ。
結婚して自分には子供がいるのに「結婚ってすごい大変」みたいことを言っちゃう感じで変わった人。
だから「一人でいることってすごい大事なことだよ」みたいな。

孤高の人というか一人になりたがる人というか、そういう人だったんですよ。
父のお母さん、私のおばあちゃんですね、そこも離婚しているので、母子家庭で。

わたしは、ばぁばって言ってたんですけど、ばぁばと父と父の姉と妹さんがいるんですけど、ここの家族はみんな孤高で、みんな一人が好きなんですよ。

一人でいて勝手気ままに、お金もすごいたくさんあって、海外へ一人で行って一人で帰ってくる、好きな仕事や、会社でも好きなことをしている、みたいな。
基本的に一人の集まりの家族みたいな人達で、孤高なんですけど集まる時は集まって、お食事してまたパッと帰っちゃう、みたいな。

ばぁばなんて、まだ生きていた時、私と妹の2人とばぁばで3人でお買い物に行っても自分が飽きちゃったりすると帰っちゃうんですよ、先に。
まだ幼稚園生の子ども2人をデパートに置いて。
どうするのかな?と思うんですけど、いつもタクシーで行ったり来たりする人だったから「タクシーで帰れるでしょ」みたいな感じで置いて行っちゃうんですよ。

「えー!」みたいな感じで、わたしたちの方が迷子の呼び出しをしちゃうんですよ、ばぁばに会いたいから。
そうするとばぁばはすごい怒っちゃって、「ひいきのデパートでこんなアナウンスがあるなんて心外だわ」と、プリプリして帰っちゃうみたいな感じで(笑)

ばぁばはフランス料理とかも好きなんですよ。
でもフランス料理って時間かかるじゃないですか、コースでゆっくり。
そうすると「遅いわ」って言って帰っちゃったりとか(笑) そんな人なんですよね。

みんな孤高を楽しみすぎているみたいなマイペースな人達の中で育っているので、わたしもちょっとたまにそういうところがあるんだと思うんですね。
自分も多分そうだと思うんですよ、みなさんの中にいたら笑われちゃうタイプで。
だからきっとそういう疎外感とかそういうのもあったと思うんですね。

 

孤独の定義をし直す

実際わたしも、離婚もしていて、やっぱり孤独感ということに対してもう一回定義し直した方が良いというのはあります。

孤独を生きている人というのは、一人が好きというエッセンスを絶対持っていると思う。
今は孤独が嫌でも。

わたしもすごく孤独な自分というのは、すごい嫌だったんですよ。
嫌だったんだけど、今すごくそれを振り返ってみるとやっぱり一人がどこかで好きなんですよね。
だから、まずは一人が好きな自分というのも大いにあるという風に、孤独感に対しての定義を自分の中でし直す。
わたしは割と一人が好きなのかも、というのを入れる。

でも全部が全部一人じゃ嫌なんですよ。
そりゃそうですよ。
だから、一人の時間もないとダメなんだけどここからここは誰かといたいとか、ここからここは友達といたいとか家族といたいとかというそのバランス。
自分の時間配分のバランスのところが、うまく調整されるようになると、すごく楽になると思うんです。

実は、わたしのいろんなエッセイとかメルマガとかでもよく登場しているんですけど、茨城県水戸市の少友幼稚園というところで発行されている「子供と孤独」という小雑誌があって、それを1つの本にまとめた「幼児はあらゆる種子の萌芽を孕む」という、これはフレンド学園の創設者であられる教育者の先生達が書かれているエッセイ集なんですよね。

 

幼児はあらゆる種子の萌芽を孕む―地方都市の幼稚園長からの“たより”

 

水戸市の少友稚園にわたしの娘の菜花さんが通っていて、クエーカー派というキリスト教の幼稚園で、沈黙の礼拝というのをする教会なんですよ。
牧師さんとか伝道師さんがいないの。
礼拝に参加した人はみんな祈っているんですよ。

祈っている間にふっと神に呼ばれた気がする、これはみなさんの前で話した方が良い気がしたら「はい」って言って、こんな時に神を感じました、とか愛を感じましたってお話しをするという、沈黙の礼拝をする宗派なんですね。
だから誰も「はい」とはやらない日もあるという素敵な教会で。

そこの小泉先生という方がエリス・ボールディングさんという社会学者の方の「子供と孤独」を翻訳されていて。
その小雑誌が大好きで、素晴らしいなと思って。

子供を孤独にしないように構っちゃうじゃないですか、寂しくさせないように。
逆に、孤食とかという言葉もあるけど、共働きで一人でご飯を食べさせるとか、そういうことをさせないようにしようとか、そういう動きというのももちろんあるんだけど。
そことはまた違う孤独と言うのかな。

要するに、「孤独に対する定義のし直し」。

 

孤独になることで自分のなかのクリエイションと出会う

寂しくさせるための孤独じゃなくて、ここに「子どもとこどく : 創造性を養うために」ってあるんですけれども、やっぱり人は一人にならないと自分のなかにある創造性、要するに神ですね。

フレンド学園の方とかクエーカー派のみなさんはやっぱりクリスチャンなので、自分一人で祈る時間とか、自分を一人で内観する時間とかというものを子どものうちから持たせてあげる、親が。

親が子供に孤独という時間を、温かい孤独というものを与えないと自分の中のクリエイションと出会えない、ということがすごく丁寧に書いてある素晴らしい本なんですね。

だから放っておくとかそういうことじゃなくて。

たとえば、アインシュタインなんかも集団の中に入るとノイジーで疲れやすくて神経症みたいになっちゃって、14歳とかの時に学校を休みなさいって精神科の先生から診断書が出るんですよね。出させたのか出たのか。
それで親御さんと一緒に療養に行くんです。
山の中でお散歩したり、湖とかそういう湖面とか歩いていたりした時に、彼は相対性理論に気付くんですよね。

自分と向き合ってただ山を歩くとか、それをお母さん達は遠くでそっと見ているんです。
距離を置いて一人にさせているというか、放っておくわけじゃなくてね。
見ているんだけど、気にかけているんだけど、彼が自分の中と自己対話している時間をそっと見守るみたいな。

創造性、自分の内側の中のクリエイションと結びつけるものとして、まず親御さんが孤独ってそういうほんとうの自分と出会う場所なんだ、という風に捉え直すということが大事。

孤独とは、みんなに疎外されて、楽しくないこと、悲しいこと、仲間はずれなこと、という定義だけじゃない。
仲間と喋ってしまっては逸れてしまうもの。
引き寄せの法則とかでいつもお話ししているすべてを作り出す力と、すべてのインスピレーションが湧いてくるエネルギーと一緒になれる時間は、孤独な時間にしかないという風に書いてあるんですよ。

だからわたしはこの本を読んだ時、わたしの父がわたしにしようとしていたこと、言いたかったことというのは、こういうことなんだなというのがすごく分かった。
それが文字になっていて素晴らしい本なんですよね。

 

孤独な自分を否定しないこと

それから孤独感とか孤独という定義がはっきりと自分の中で変わったんですよね。だからネガティブな要素なだけじゃなくて、孤独というものを通して、わたしも祈りの中に入っていきましたし。

一人の時間というのも元々すごく好きだし、一人だな、浮いてるな、みたいな自分も分かっていて、一家揃って孤高だなみたいなのも分かっていたのだけど、学校に行ったり、社会生活をしたり、離婚したりすると、「あれ?わたしって人と一緒にいる苦手なのかな…」という風にネガティブなジャッジをし始めたわけですよね。
それが辛いんです。

わかりますか?
孤独が辛いんじゃなくて、孤独に対してジャッジメントすることが辛いわけですよね。
孤高というのはほんとうは良いことですからね。
インスピレーションが湧く、仕事もできる、清算的なこともできる、引き寄せ力は高まるわけだから、ほんとうはすごい素敵なことなんですよね。
孤独に対しての誤認知、間違った認識があるというところが問題で、そこを認知し直すということがすごく良い気がするんですよね。

だからまず、一人で寂しくて鬱で…ってなるんじゃなくて、孤独というものの良さ、孤独というものの素晴らしさ。一人が好きという自分もいる、というとにかく肯定的な面をちゃんと見ていく。

それだけじゃちょっと困る、それだけじゃ嫌だよなという自分がいたら、孤独感が強い、孤独になりやすい自分を肯定しつつも、外に出て行って人と対話したり、お友達の輪に入っていったり、パートナーを作ってみたりする部分も持ってみよう、みたいな感じで。

とにかくどちらも否定しないことが、まず孤独感に対してのすごく大切なところかなって思うんですよね。

ほんとうに孤独問題って大事だと思います。
だってクリエイションにかかっているから。
きちんと自分自身と繋がっている人こそが世界の人と繋がれるってことはわたしはパートナーシップ論でもずっとお伝えしていることだから。
まず自分自身と繋がれるということは、自分との握手というか、自分とのパートナーシップの部分です。
そのことが、この「子供と孤独」の中でも書いていることだと思うんですよね。

だから孤独であることに対して、ご自分を否定的にジャッジしないということ、孤独を定義し直すってことが、一番ずれていないような気がします。
孤独をなくすということもむしろ違うと思うし。

素晴らしいことだと思うんですよね。

 

今度どこかでまた書こうと思っているんですけど、わたしの大好きな映画で「Diorとわたし」というドキュメンタリー映画で、ラフ・シモンズさんという方が急遽Diorのデザイナーにスカウトされて、オートクチュールを作らなきゃいけないというところを追ったドキュメンタリー映画なんですけど、これも孤高です。

ラフ・シモンズさんってチームでお洋服作るというので有名な方なんだけれども、それでもやっぱりインスピレーションのすべてとかデザインの美しさというのは、彼の孤独というか、自分と向き合った中から出てくるものだから、彼の孤高感というのがこの中にもすごく出ていて。

そして、わたしが大好きで髪型も真似ているという、またファッションですけど、アナ・ウインターさんの「ファッションが教えてくれること」。
ニューヨークVOGUEの編集長のアナ・ウインターさんですね。
この方も孤高、とにかく一人。

チームでやっているんですよ、お仕事は。
お嬢さんも可愛がっていらっしゃるし、パートナーと離婚されてはまだ再婚とかされていないのかな?
でもすごく自分の中で孤独感という、孤高、一人であることの意思、自分のクリエイションと繋がっている強さ、みたいなものをいまあげたお二人は持っていて。

その中から発されるものとか、仕事というところはやっぱり活きているから。
そういう雰囲気の時は周りを寄せ付けないんですよね、孤高な感じで。

でもそれを持っている強さが、たくさんのクリエイションとか、お金を生み出したりとか、お針子さんのお仕事だって作り出しているわけですよね、オートクチュールだとね。
そういう色々な引き寄せですよね。
豊かさというもの、素晴らしさというものを引き寄せていくわけですから。

孤独感にも自分のなかでバランス、誰かと一緒にいる時間と一人でいて自分を大切にする時間とのバランスのスケジューリングを立てて、こういう生き方に変えてみるというのをしてみると良いと思います。

あくまでも孤独な自分を否定しない。

孤独なところを大切にして、一人が好きなことも認めること、定義をし直すってことがすごい幸せになりますよ。

わたしも割と同じところでずっと悩んできたから、ここで自分の孤独感についての定義のし直しができた時にものすごい自由になりました。
すごい広がった。
インスピレーションが形になるスピードももっと上がりましたし。

自分の孤高であるところはもっともインスピレーションが湧くところでもあるのに、そこに否定のエネルギーをかけちゃうとちょっとずれるんですよね。

孤独は捉え直しができたらすごい素晴らしいクリエイションと一緒になるので、素敵だと思います。

やっぱり力があってお仕事が出来る方は、自分を発揮することができている方はみんな孤高というところを持っている。
それを肯定しているというのが逆に見えてくると思います。

すごく良いテーマというかご質問いただいたなと思って、わたしも自分の広がった経験のお話ができたりシェアできたらなって思いました。

お話、今日も聞いていただいてほんとうにどうもありがとうございます。

 

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