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わたしの、Course

 

2019年は、とてもうれしいことがありました。

10年以上読んできた『A Course in Miracles ~奇跡のコース~』を、

わたしの大切な人と一緒に、毎日レッスンできるようになったことです。

このメディアサイトのプロフィールや動画でも触れています通り、

わたしはCourseを読み始めてから……

生涯の中で、もう一度。

新しい一生がスタートして、生まれ変わったような……

いいえ、むしろ、小さな頃に感じていた、

「愛を動機に生きる人生」へと、還っていくことになったのです。

 

ほんとうは、時間は存在しない

わたしの小さな頃の最初の記憶は、

父と母に連れられて行った、赤い橋の下の川の水と丸い石を触って、

「これは、なんだろう?」

とおもったことです。

その頃からいつも感じていたのは、

「想ったことは成っていく。

でも、時間は存在しないはずなのに、

どうしてここ(地球)は、時間がかかるの?」

そう心底不思議な気持ちでした。

わたしはこの世での記憶が始まった一歳くらいの頃から、

「ほんとうは、時間は存在しない。今の想いだけが在る」

この真実の切符だけを、忘れずに心に持って生まれてきたのを覚えています。

そして、愛がハートから広がった軽やかな人と、

怖れと自己否定が強めで重たい人の、

その違いがはっきりと感覚でわかりました。

「わたしのことを無条件に想ってくれている人は誰か?」

それが伝わってくるのでわかりました。

おなじ星(おなじ感性)の人が、誰なのかもわかりました。

違いや共感を、いつも感じとって生きていました。

東京から越してきた田舎の広い水戸のお家は、波長が暗く、重たくて……

とにかくあまりの波長の重たさに、

小さな頃から家に一人でいることができず、

越してきたばかりの頃は、てんかんの発作ばかり起こしていました。

母は、わたしが舌を噛みきらないよう小さなハンカチをくわえさせて、

いつも救急車で運ばれていました。

人が放つ軽やかで無条件な愛と、

体を持って生まれてくることの重力の不自由さと、重ための思い(怖れ)。

現実世界と霊的な世界の狭間を、行ったり来たりしていた子供でした。

その証拠に、幼稚園の先生や小学校の先生の知るはずもない私生活が、

フラッシュバックのように突然ありありと見えてきて、

大人が隠している本音が伝わってくることが多かったです。

愛はひとつだから、相手とは必ず繋がっているので、それがわかる。

そんな世界の住人でした。

 

わたしがすべて消えていく

言葉ではなかなか説明できない、こんな人の心理や霊的な領域の境目を、

見事にメッセージに昇華させていたのが、

『A Course in Miracles ~奇跡のコース~』だったのです。

わたしが生まれて、約40年目に。

日本語訳されたその文字を受けとることになりました。

 

初めてCourseの365日のワークブックをスタートさせた時、

かつて霊的な子供だった、超敏感な自分との再びの邂逅。

毎日、あの自分へ戻っていく。

こんな官能的な体験が、Courseを読むたびに、待っていました。

経験という過去の時間(記憶)が、わたしがわたしに戻るたび。

生まれたての自分と、もう一度溶けあって、

わたしがすべて消えていきました。

「ほんとうは、時間は存在しない。今の想いだけが在る」

わたしはCourseを通って、ここに戻った……

わたしはそういう人です。

 

波動の法則には抗えない

愛する父が他界した瞬間、入院していたICUの病室で、

この聖なる世界の話をしたかった自分がいました。

「僕は無神論」

そう言っていた父は常に肯定的で、具現化が天才的で、自由で、軽やかで。

わたしから見たら、誰よりも聖なる世界の住人でした。

でも今は、そういうことは語っても語らなくてもいいことで、論じるのでなく、

その聖なる世界を感じ入って、聖性をただ生きる。

それを、お互いが心で目配せをして頷きあうような……そんな、生き方。

それでもういいのだと、「今のわたしの想い」だけを、

心から信頼できるようになりました。

 

反対に、自己否定と被害者意識が強く、

その反動を、密かに娘のわたしたちにやつ当たってしまう他者否定をしていた母のことも、

とても可愛い人だった、好きな人にとても尽くすし、

わたしが男性だったら、割と好きなタイプだな、と。

冷静に、おもしろく観察できるようになりました。

波長が違いすぎるので、

きっと一緒の空間で、長く暮らすことはできないけれど……

でも、人としてとても好きです。

(分離からの怖れが強い気持ちがわたしにも入ってくる、それが采配のタイミングで作られてしまうので、波長の違う人とは、関係性を成立させづらいのです。それほどに波長の法則は、非常に量子力学的で、絶対的に狂いがない、公平なものです)

好感を持っていても、波動の法則には抗えないこと。

わたしも量子の光の波動の一端であるから、法則の中でしか生きられない。

むしろ、そういう正確性のある平等が、素晴らしいとおもうのです。

 

理解できてもできなくても、奇跡体験を受け取る

『A Course in Miracles ~奇跡のコース~』の素晴らしさとは、

理解できてもできなくても、

「奇跡体験を受け取る効果は同じ」というところです。

これがこのテキストの偉大なところです。

理解できない人には受け取れない世界なのであれば、

それは愛ではないと感じます。

理解できてもできなくても、ただ読んで、触れているだけで。

関わった人全員の聖性が開いていく……それが愛の成せる贈り物です。

わたしも原稿を書く時、エッセイ書く時。

理解されてもされなくても、触れてくださった方の愛が開いてしまう……

そういうものを書きたいとおもって続けてきました。

佐川奈津子さんの言いたいことはどうでもよくて、

それは、一番先に捨てる。

そうではなくて、愛がただ開いていくことだけに。

佐川奈津子さんの経験や言葉を、

時空を壊し、聖なる愛に、自由に並べ替えて使ってもらう。

そういうことをし続けています。

……という、

「ほんとうは、時間は存在しない。今の想いだけが在る」

その生き方に、Courseが、わたしを連れて戻してくれたのです。

 

与えることは、受け取ること

同じ人生でも、「見方の角度」が変わっていくと、

そのナビの方向性は、次第に大きく変わります。

わたしはますます、時間がほんとうは存在していない真実をわかって、

今、自分が居たい場所と現実への想いだけに、

わたしの愛のすべてを注いでいます。

すると、それが必ず世界に現れます。

それが可能になったのは、わたしの中で、Courseによって分離が終わったからです。

「わたしは全員であって、あなた独りではない。

 そして、その全員がひとつの真実を、愛と呼ぶ」

そうCourseに定義を変えてもらい、もう一度見直した世界には、

すべてが繋がっているサインが満ち満ちていました。

わたしたちは元々が愛ですが、

意識として「愛である」という再認知をすることによって、

もっとその愛が創り出す創造性を生きることができます。

わたしはそう生きてみたいので、Courseの教えを毎日生きています。

「与えることは、受け取ること」

わたしは、わたしの幸福についてこれからも、

受け取り続けていきたいとおもいます。

なぜなら、受け取ることは、与えることだから。

関わった全員である「わたし」が、みんな幸せになる愛の法則とは、

こんなに単純で明快なのでした。

 

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