苦手なお友達がいる、
職場に苦手な人がいる、
苦手な人とどう付き合ったらいいのかわからない、
そんなあなたへ……。
・みんなと仲良くなければ……は否定的なエネルギー
・苦手な人と無理して交わる必要はない
・2019年~大きなクラス替えが始まっている
苦手な人と付き合おうとする、その裏に隠れている罪悪感
今日はですね、苦手な人との付き合い方、お付き合いの仕方、という話をしてみようかなというふうに思っています。
いつも同じ部屋の中の一部のところで撮ってるんですけど、見ていただく方も「見飽きちゃうかな?」と思って、ちょっと同じ部屋の中の別な構図で撮ってみました。
なんか少しマンネリズムからみなさんが解放されていただけたら嬉しいなと思っています。
うしろにあるのは思い出の写真を壁に貼っているものです。
特注のパネルを作ってそこに写真を入れて飾っているんですけれども、そんな感じのお部屋の壁です。
今日はですね、苦手な人との付き合いの仕方ということなんですけれども。
まず、そもそもみなさんに、まずお聞きしたいことがわたしの中にあって。
苦手な方と、波長が自分と合わない方と、お付き合いしなければならない、というふうに心の中で思っていらっしゃいますか?
わたし40代なんですけど、小学校の道徳の時間とかで、わたしたちの世代というのは、みんなと仲良くしなければいけないとか、よく聞くとマウンティング的な平和主義というか、こうしなきゃいけない、仲良くしなきゃいけないと、わたしからすると、雑な感じっていうか。
そうは言ってもいろいろな色とか人のカラーというか、得意不得意とか、波長が合わない、気が合わないというのがあって、それを一緒くたに、絶対仲良くしなさいね、みたいな、ちょっと命令的な感じというか、上からな教育がなかったわけではないというか。
わたしは、学校の授業で時々そういう雰囲気とか、社会常識の中で、そういうエネルギーを感じていることが多かったんですね。
そうではなくて、そうじゃない先生とかもいらっしゃったと思うんですよ。
道徳という授業の中で、もっと別な側面から、ハートから教えて下さった素敵な先生も、きっとたくさんいらっしゃると思うんです。
そもそも苦手な人と付き合おうとする、今回こういう、「苦手な人との付き合い方のお話しをしてください」と、言っていただいたんですけれども、その裏側にはやっぱり、『付き合わなくちゃいけない』という思いがあるということを、ちょっと確認してみてください。
逆にね、「苦手の人とは付き合わなくていいよ」と思ってらっしゃる方は、こういうことでまず悩まないんですよね。
こういう質問とか、疑問も思わないし、「え?いいじゃん。そのままで。無理して付き合わなくて。はい、終わり」っていう感じだから。
そこに、そういう態度ではいけないんじゃないか、という罪悪感が潜んでいることがすごく複雑になってしまうんですよね。
なので、まずそこから丁寧に見ていきたいなというふうに思っています。
色の合う人だけと一緒にいたほうがうまくいく
特にですね、わたしはリアリティのあるスピリチュアリティというか時代とかを読みながら、このメディアサイトでは、具体的な生活の暮らしの見方というのをお伝えしたいと思っているんですけれども。
特に2019年、今年ですよね。
もう夏も終わりに近づいている半年を過ぎた今年、2019年からとっても顕著なんですけれども、波長が合う・合わないっていう方の色分けと言うか、色に分けたら、青の人、赤の人、紫の人、グリーンの人、黄色の人……というふうに、体にもチャクラのオーラの色というのはありますけれども。
なんとなく『似た集団』ってあるじゃないですか。
世代でも分けられるかも知れませんけど、似た主義の方たち、いますよね?
どういうふうに分けたらいいのかしら。
わたしなんかはですね、自分で差別的な意味合いとかじゃなく、オタクなんです。
できることは専門性がすごく高いんですけど、そうじゃない苦手なことはびっくりするほどできないっていう感じで。自分が夢中になっていることとか、得意のことに関しては、ものすごくしゃべれたりとか、愛せたりとかの偏りがすごいんですね。
だから、お友達とかお仕事の仲間でもそういうオタク気質な方が多くてですね、すごく気が合うんですよ。専門性がお互い違ってても、その人が凝っているものを聞くのが大好きで、なんか心が落ち着くんですね。
逆に、オタクっぽくない方っていうのもいるじゃないですか。
こっちだけができて、こっちだけができないじゃなくて、バランスよく人ともお付き合いできて、そつなく平均点取れるよ、みたいな感じの方とか。
あとは、すごく叙情的で、感情的で、情熱的で、好き嫌いがはっきりしています、みたいな感じの方とか。すごく社会常識を大事にして生きてます、とか。
いろいろな価値観のグループの方がいて、そういった方たちを青色、赤色……って分けたとしてね。
たとえば道徳的な考え方だと、このみんなが、いろんな色が混ざって、いろんな人の個性を尊重して仲良くしなければならないんだ、学校の中ではみんなを認めあって、みたいな感じがあると思うんですけれども。
2019年はですね、この同じ色の人同士だけでグループを組んで、いろいろなお仕事をしたりミッションとしてそういう大きな企画を考えたり、暮らしたりするということを、わたしは真剣におすすめしたいと思ってます。
だから、青色と黄色の人が仲良くなる必要はないと思っていて。
お互いが「黄色の方だなぁ」、「こちらは青いオタクの方ですね」みたいな感じで、距離のある感じで、否定したり罰したりするわけではないんだけれども、無理して交わる必要はない、ということがこの2019年の大きいキーワードだと思っているんですね。
隣り合わせでグラデーションでね、青から赤を足していくと紫になってくみたいなグラデーションがあったとしても、無理して一緒の色にしてしまわないこと、というのが今の時代のすごく良いところだと思っていますし、逆に、無理して「こちらの方とこちらの方が仲良くしなきゃいけないから、プロジェクト組もう」とか、会社で「いがみ合うといけないから理解し合おうよ」みたいなことを、あまりしない方がいいとわたしは思っていて。
それをやってしまうと、お互いに感情のクラッシュが起きて、価値観が違うので、病気を作りやすくなったりするんですね、ストレス性の。
今は、女の人はお家にいて赤ちゃんを産んだり育てたり、ご両親の介護をしてお食事作って待っている、というそういう方もいらっしゃるけど、そうじゃない方も多いじゃないですか。
社会に出て、お仕事バリバリされているっていう女性も多いですけど、やっぱり体力のある男性なみにお仕事してると、その疲れが、女性に関係する臓器や、子宮とかにポリープだったり癌だったりという、トラブルを引き起こしやすいところがあったりするんですよね。
すべてがそうとは言い切れないんですけれども、無理をしないというか、女性は女性というカラーを大事にしていって、男性は男性というカラーを大事にしていって、という色の違いも含めて、そういう性別の違いも含めてなんですけれども、特色ですよね。
だって実際に、女性と男性は体の機能とか筋肉の量とかが違いますので、そういった意味でも、色を混ぜない、自分じゃない色になろうとしない、ということがすごく大切な時代なんですね。
なので、苦手な方とは、まず大前提として、無理してお付き合いをしない。
お付き合いをしなくていいんだけれども、尊重はするというか。
家族であっても距離を置いていてもいい
「○○しなきゃいけない」という言葉の裏というのは、すごくジャッジメントが強いんですよ。
ほんとうはこういうことをしちゃいけないからやらなきゃいけない、みたいな感じの心理学的な力学が働いているので、実は、ものすごく否定的なエネルギーが入ってるんですね。
だからそうではなくていいんです。苦手な方と別に一緒にいなくてよくて、距離を置いた関係で。
それが会社だったら「おはようございます」「おつかれさまでした」でいいと思いますし、最低限のお仕事の話をして、お互いの得意なところを助け合って「ありがとうございます」ということで。
飲み会でも一緒になっちゃったとしても、無理してお隣のお席でおしゃべりすることないですし、全然いいと思います。
会社だったらお家に帰れるからいいけど、家族の中だったら?
たとえば義理の両親と住んでますとか、義理のお兄さんが仕事が大変で家にいることになって一緒に住んでるみたいな。義理じゃなくてもね。
自分はもともと兄弟と仲が悪くってすごく苦手なんです、とか。
実の両親が苦手ですとか、祖父母が苦手です、とかもあるかもしれません。
もしかしたら、自分のお子さんで、長男とは馬が合うんだけど、どうもなんか次男と合わない、とか。
特に肉親でね、苦手な方がいたりすると、すごくなんていうかな案件がヘビーな感じっていうか、余計罪悪感が増えてしまったりすることってあると思うんですけれども。
そこでもね、わたしは肉親の中でも、少し距離を持ったお付き合いをしていく方が、2019以降はいい気がしてます。
一緒のお家で暮らしていても、距離があってもいいと思うんですよ。
「わたしはお母さんが苦手だ」というのがあったら、お母様がお母様と気の合うコミュニティの人たちと幸せでいてほしいということを祈っていたり、思っていることで、十分なんです。交わろうとしなくていいんですよ。
ただ、お母さんにはわたしよりももっと気の合うお友達とかパートナーとかそういう人がいて、コミュニティがあって、幸せでいてほしいな、と思う。
苦手な人の幸せを祈っていく、ということが一番健康的だと思います。
無理して付き合って、なんかあの人嫌いだと言って、幸せを祈れない、思えないということよりも、綺麗に距離をおいて、相手がもっともっと気の合うお仲間と幸せに暮らせたらいいな、ということを力強く思っていくっていうか、見ていくっていうことが、色分けをしながら、相手を尊重しながら生きていくお付き合いの仕方だとわたしは思ってるんです。
実際、こうやってみなさん毎日暮らしの中で生きてると、苦手な人と無理して付き合わないようにして相手の幸せを真剣に祈ってるかといったら、それはしてないなって思うんですね。
わたしは、具体的に苦手な方とはそういうふうにお付き合いするようにしてます。
苦手かどうかは「怖れの度合い」で決まる
苦手な人というのは、実は苦手なのではなくて、エネルギー的なスピリチュアリティ的な側面でご説明しますと、いいとか悪いとかではまったくなくて、『怖れの量』で決まってるんですよ。
苦手か苦手じゃないかって。
怖がり度数が100%入るコップがあったとして20%しか怖がってない人と、100%に近くすべてが怖いと思っている人、怖れが強い人。
その怖れの強度でね、苦手・苦手じゃないというのがあるんですよ。
だから怖れがあまりない方のことを、怖れが強い人はすごい苦手です。そんな感じなんですよ。
怖れがあまりない方も、あまりにもそれが強い方というのに対しては、話してて話が通じなかったりするので、「え?それも怖いの? そんなつもりで言ったんじゃないのに。それ悪口だと思って言ってない、カラッと言っただけなのに、傷つけちゃったの?」と。
怖れが多い人というのは、自己否定と他者否定が強いですね。自分を否定している人は他者も否定しますから。
だからなに言われても傷ついちゃったりするんですね。なにを言われても悪口に聞こえちゃうんですよ。ベースに自分責めがあるから。
そういう方にすごくポジティブな人が付き合おうとすると、話がかみ合わなくてですね、お互いを傷つけちゃうんですね。
「わたしは普通にしてたのに、なんだろう……」みたいな。
こっちは「すごい言われた」みたいな、「なんか明るくなくっちゃ生きてちゃいけないみたいに言われた」みたいに。
「そんなこと言ってない、言ってない」っていう感じ。
まったくコミュニケーションが合わないっていう状態になってしまうので。
最初に軽くお話ししましたけれども、細かいスケールでお話しすると、怖れの量が大体一緒の方が同じ色なんです。怖れている範囲って言えばいいんですかね?
「あれも怖い、これも怖い」という人と、「ここらへんは全然明るくいれるけど、これだけは苦手だなぁ」みたいなのが、その怖れの総量ですね。
それが合う・合わないかで、苦手か苦手じゃないか、気が合うか合わないか、というふうになってるだけなんですね。
そう考えますと、怖れている人は、やっぱり人生慣れることとか、自分に対してそんなに不安にならなくてよくて、怖がらなくていいよ、という経験をひとつひとつクリアしていかないと、やっぱりなんでもポジティブに考えるということができないんですね。急にできないんですよ。
だから、やっぱりそれを待って差し上げる時間もありますし、だんだん怖れが弱まってきて、肯定感が高くなってきたら一緒のグループなんですよ。
そのときはとっても楽しく一緒におしゃべりできるんですよ。視座が一緒だから。それがないときは、怖がっている方になにかお話ししても、全部が怖く聞こえてしまうんですね。
人の悪口を言う人は自分のことを一番嫌っている
だから無理して一緒にいる必要はなくて、怖がってる方って、怖がっている方同士のほうがいいんですよね。
あれも怖いね、これも怖いね、こういうのほんとうにムカつくよねとか、ほんとああいうの信じられない、ないよねとか、ありえないってすごく悪口言いながら、愛し合ってるんです。
だからそれがいいとか悪いとかじゃなくて、そういうディスるっていうことを使って、愛し合ってるんですよ、あの方たちは。そういうグループの方たちは。だからそれでいいんです。それで癒されるっていうか。
こちらの方、明るい方から見たら、そんなに人の悪口を言っててなにが楽しいんだろう、と一緒にいると気分が悪くなっちゃうっていうのがあったりなさると思うんですけど、そういう方たちはね、それがすごく心地いいんですよね。楽しいんですよ。だからいいんです。
その方たちがそれで幸せならそれを言っていればよくて、あなたが悪口を言ってるAさんは、そんな人じゃないよ、っていうことを別に気にしなくていいっていうか。
実は、悪口を言ったり、否定的なことを言っている方たちって、たとえばAさんをその対象にして言ってたとしても、Aさんのことを責めてるわけじゃないんです。この人たち、全部自分が嫌いなだけなんですよね。
それを言いやすいAさんのせいにして、Aさんがこうしたから嫌い、こうしたから嫌いって誰かのせいにしてるだけで、ほんとうはこういう悪口言ってる方たちっていうのは、一番嫌いなのは自分です。
逆に、そのチームにいらっしゃっている方どうですか?
冷静に考えてみてください、一番自分のことを今好きになれませんでしょ。
いいんです、自分のことを好きになれないっていう時期ありますし、悪口言ってる方が、これがダメだ、あれがダメだって言ってみたり、相手がこれがやだ、あの人ムカつくって言ってる方が落ち着くっていうことで、わたしいいと思ってるんですよね。全然いいと思ってるんですよ。
わたしも割と、こっち側に普段はいますので、わたしもこっちのゾーンにダーンって入っちゃうときもあるんですよ。
どういうときに入っちゃうかというと、わたしの場合はエンパス能力が結構あるので、こういう方達のグループのところに入っちゃうと、もう透明なお水の中に青インクがバーッて入ったようになるので、全部否定的な考え方になっていくので、そうするとドーンってこっちに入っちゃうんですね。
一緒なんですよ同じ人間だからだから、みんな。
でも、そこが抜けるとわたしは普段は肯定感が高いのでわかるんですよね。
この方たちが、ほんとうは自分が嫌いだってことを、Aさんのせいにしてるっていうのがわかってて。
そして、そのAさんがわたしの場合もあるんですよ、アンチっていう感じで。
「なっちゃんってさ」みたいな。「調子に乗ってるよね」みたいな。
「佐川さん、なに言ってるのか全然わかんない」みたいな。
そういう方たちの吊し上げの対象になってたりする場合もあるんですけど、そういうのを見てもそんなに反応しないというか。
ここにいるときのわたしは「あぁ、それは自分のことをわたしに置き換えて言っているだけだなぁ」というのがわかってて、ここにいる佐川さんっていうのは虚構っていうか、彼ら彼女たちが見てる幻想なので。
だから真に受けないというか、「自分のことを責められないからわたしを使ってるんだな、ふんふん」みたいな感じで見れるので。
なので、わたしは誰かをすごく否定している人を見ると、「そんなことをあなたにやった人がいたの?」って乗っからないですよ。
「そんなふうに相手を見てるということは、自分が嫌いなんだね」って見ちゃうんですよね、わたしはその人のことを。
だから、むしろ「だいぶ人の悪口言ってるけどすごい自分のことを嫌いなんだね」って。「どんなとろこが自分嫌いなの?」って返しちゃうっていうのがわたしなんですよ。
だから話にならないんですよね、ある意味。視点が違う。
「わたし自分のことを好きとか嫌いの話してないもん。なっちゃんとかAさんがダメだって話ししてんじゃん」みたいな感じになっちゃうんで。
「でもその否定的なことって、ほんとうは自己否定だからさ」ってなっちゃうじゃないですか。こっち側にいる方っていうのは。
だから噛み合わないんですよね。話も盛り上がりませんし、接点がね。
無理はしない、自分がホッとする癒されるところに居ればいい
そういう感じで、自分たちがまず癒されるグループというところに、一緒にいて安心だなーって、ホッとするな、喜びがあるなぁっていうところにいらしたらいいと思います。
無理して付き合わなくてよくて、家庭内でも学校のクラス内でも職場でもそれはできます。心の距離を遠くから眺めていくっていうか。
「ああそうなんだねぇ」っていう感じで見ていく。
無理して付き合うことはないっていう感じでいいと思います。
お声かけられても早く帰っちゃっていいと思いますよ、全然。
ほんとうに自分で自分を見つめていくとか、愛していくほうが、今は現実創造したり、夢を叶えていったりとか、シンクロニシティを増やしていくっていうキーワードのことを考えたときにすごい重要です。
無理して苦手な人と付き合う、ということをしていると問題が増えますね。
今年は特に問題や、体調を壊して病気を作ることも多いのでその方が良いと思います。
で、わたしさっきから、どちらの方の悪口なにも言ってないじゃないですか。
こういう方はこれでいい、こういう方はこれでいい、と言っているので、良い悪いでは全然ないんです。
色の違いっていう個性なので、自分の色はどんな色なのかしら、会社とか学校とか家庭の中でもグループがあるのかな、無いのかな、あったとしたら誰といたら心地がいいのかな……っていうことをすごく大切にチョイスしていい時代になってるから、無理して仲良くなる必要はないって思ってます。
これで少し気が楽になったりしていただけたらいいなって思います。
今、体調を崩している方とか、お仕事をしても学校にいても問題が起きちゃう方っていうのは、実は人間関係の色の違いの人を一緒くたのグループにしようとしたり、仲良くしようとして努力をしようとしたり、まとめようとしていたりする。
いまは、そういう人間関係のトラブルから仕事のミステイクとかが増えていくことが多い時代なんですね。だから、距離を持ちながらお付き合いしていくということがいいです。無理して近づく必要はないですね。
苦手な人が現れたら、それはわたしが作っている、わたしの一部を表してる、っていうふうに投影のお勉強とかしてる方、はそういう考え方をされている方多いと思うんですけど、2019年は少し風が違うような気がしてますね、わたしは。
だから、そういう人が現れた、マッチングしないな、わたしと違うものを持ってるな、これわたし持っている、いやわたし持ってない気がするなあ、違うなと思ったらスッと離れる、という感じでいいと思います。
逆に、ざわざわするとか、すごいイライラする、かきむしられるみたいな人が現れたときは、やはり投影を見る相手として、自分の中に隠している劣等感とか恐れが反応しているので、それに反応しちゃった場合は、少し内観して、その人みたいな自己否定をほんとは自分がしてるんだな、してたのかもしれないな、というのを見る。
見るのはいいんですけど、見るだけ。だからどうってことではないので。
「あぁ見た。わたしも同じようなの持ってたな」みたいな。
で、これ誰々さんに似てるなとか、お母さんもこういう考え方よくしてたなとか、名指しで、その人の考え方をわたし入れてるみたいな、似てるみたいなになると、カルタ合わせや神経衰弱みたいにカードを合わせると、エネルギーがフッと軽くなるんですよ。
だから、それをこねくり回して、無理して仲良くしようとするのは、今風じゃない気がしますね。
暮らしの中で、そういったやり方の角度に変えてみて生活していただくといいかなっていうふうに思ってます。
同じグループの人同士でコミュニティを作ったりおしゃべりをしたり、お仕事をしたり。特にお仕事なんかものすごく結果がすぐでますよ。
会社のチーム内で、お仕事ができるキャリアウーマンみたいな人で、頑張り屋さんで男性並みに無理してでも頑張ってるみたいな人がチームにいると、お勉強も仕事もできるからチームリーダーになりそうな気がするんだけど、案外ポジティブな若い前向きな人の感情をそんなに考えないっていうか、肯定的で感情がアップダウンしないようなチームにそういう人が入っても、うまくいかないんですよ。クラッシュしちゃうんです。
だったら、キャリアがあって感情の激しい人は別のグループになった方が、キャリアがない新人たちの集まりでもすごく成功します。
思い切ったそういうグループ分け、クラス替えっていうのが、わたしはここ2019年から始まっていくんじゃないかなと思います。
エネルギーってやっぱり波動なんで、要するに波動というのは波があるわけじゃないですか。旋回しててくるくると低くなって高くなって、高くなって低くなってって、DNAもこういう感じというか、2つものものが。
だから波動が、交差する時代があるっていうイメージなんですよね、今は。
みんな仲良くした方がいいよ、みたいな道徳的な教えって、クロスするとこだったような気がするんですよね、エネルギーが。
だけど、今はクロスが終わってお互いの違いっていうのを尊重して距離を置いた方が、逆に法則的っていうか。波動だからね。
わたしは、その方がクライアントさんのみなさんを見てても、自分のプライベートの周りを見てても、同じ怖れの量、怖れがあまりない人たちと怖れが強い人たちのグループ分けがきちっとしている方が、ビジネス的にもストレス的にもすごくストレスが少なく反映してて、それなりの経済力をちゃんと作っていける。
だからどっちがいいとか悪いじゃないんですよね。
ミックスさせることの方が問題なんじゃないかなって思ってます。
少し長くなってしまったんですけれども、苦手な人とのお付き合いの仕方に、こんな見方の角度を暮らしの中で入れていただいて、生活してみてください。
そしてその反映の結果で、心がだいぶ楽になった、企画がすごく急に進むようになった、というような、ご感想とかもぜひ機会があったら聞いてみたいなと思います。
今日も最後まで見て頂いてありがとうございます。
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